レファレンス事例集

江戸東京博物館図書室のレファレンス事例集

 

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2016/02/03

東京都港区六本木の地名は「××木」という武士が六人住んでいたからというのは本当か。(2015年)

 一般的に諸説伝えられる古い地名の由来は、どの説が正しいと断定するのは難しいといえます。この場合も(1)「木」と付く名前の武家屋敷があった(2)大木が六本あった(3)江戸六方の男達(おとこだて)が住んでいた等の説があります。   (回答プロセス) 【資料1】によると、古木の松が六本あったため(『御府内備考』)...

2015/12/15

幕末から明治時代の写真で、手を隠して写っている人物が多く見られるが、 それは何故か。(2015年)

 『写された幕末 石黒敬七コレクション』【資料1】に、「手が大きくなると迷信され、揃って手を袖のなかに隠す武士と遊所の女達。」とあります。『歴史読本 2014年5月号 古写真集成 幕末・明治の100人』【資料 2】にも、写真に写ると手が大きくなる、また、手によくないことが起こるという俗信があったという説が載って...

2015/09/24

常設展示室にある両国橋の模型の図面はあるか。(2015年)

 模型は現存するいくつかの史料を参考にしており、図面は館蔵図書としてはありません。   (回答プロセス) 【資料1】に模型作製時に使用した参考史料名が記載されている。それによると、「図面は、安永9年(1780)と明治元年(1868)の二種類」あるとし、そのうち前者の図は表題に「両国橋杭梁行桁絵図」(国立国会図書館...

2015/09/24

『仮名手本忠臣蔵』の赤穂義士たちはなぜ揃いの火事装束を着ているのか。実際はどうだったのか。(2015年)

 実際の討ち入りでは火事装束を揃えたのではなく、黒い小袖を身に着けるよう申し合わせ、各自で装備したと思われます。(備考※1,2に堀部安兵衛の着用したとする装束画像あり。)   『仮名手本忠臣蔵』における火事衣裳については、実際に着用した黒い小袖が火事装束に似ていたので舞台用に派手に演出した等、諸説あり...

2015/08/19

長火鉢の「猫板」はネコが居眠りすることから名付けられたのか。 (2015年)

 明確な由来は不明ですが、寒がりな猫が乗っても不自然ではない部分ということから、猫と関連付ける文献が見られます。   (回答プロセス) 【資料1】によれば、「ここによく猫がうずくまるのでいう」。 【資料2】によれば、「猫が上で丸くなって寝ることから名づけられた」とある。 【資料3】によれば、「寒がりの猫が...

2015/08/19

『東海道五十三次』を描いた江戸時代の浮世絵師、「歌川広重」と「安藤広重」はどちらが正しい呼び名なのか。(2015年)

 かつては本姓の「安藤」と画号の「広重」を併用した「安藤広重」と表記されることがありましたが、現在は「歌川広重」と表記されることが多いようです。   (回答プロセス) 【資料1】によると「少々前までは安藤広重と言う呼び名が一般的であったこの絵師、ただし存命中の本人は一度もその本姓と号とを併用したことは...

2015/08/19

江戸時代の飲食店には「御品書き」と書かれたメニュー表があったのか。(2015年)

「御品書き」と書かれた資料は見つけられませんでした。「覚」と書いてある資料もありますが、頭書きのない物もあり、さまざまなようです。   (回答プロセス) 【資料1】によると、「行灯に書かれた品書き」として「覚」と記されてる資料あり。特に頭書きはなく、品名を連ねた札もあり。 【資料2】をみると、看板、の...

2015/06/08

鹿鳴館の図面は残っているのか。(2014年)

設計者のジョサイア・コンドルが書いた図面は現在行方不明となっています。現在私たちが見られるのは推定図と、竣工後書かれた略図となっています。 (回答プロセス) 【資料1】によると、p.13「コンドルの書いた鹿鳴館の図面は、現在行方不明」、「1940年(昭和15)の解体直前に行われた堀越三郎と横河工務所の調査によ...

2015/06/08

江戸時代の「江戸三大名鐘」とはどれを指すのか。(2014年)

江戸時代に「江戸三大名鐘」と呼ばれていたかは不明です。江戸の代表的な鐘として寛永寺、増上寺、浅草寺、天龍寺、市ヶ谷八幡宮等の鐘が紹介されていますが、「三大鐘」として紹介する文献も鐘の組み合わせがそれぞれ異なります。 (回答プロセス) 【資料1】によると、芝増上寺(港区芝公園内)・上野寛永寺(台東区上...

2015/06/08

太田道灌の「山吹の里」伝説の地は都内のどこなのか。(2014年)

 現在「山吹の里」伝説に関する史跡は都内に複数あります。荒川区荒川7-17-2(泊船軒内に史跡)、 豊島区高田1-10-5(山吹の里公園に由来板)、豊島区高田1-18-1(面影橋附近に史跡)、新宿区新宿6-21-11(大聖院内に山吹の里伝説の娘の墓)、新宿区西新宿2-11(新宿中央公園に太田道灌久遠像)。しかし、実際の場所と...

2015/06/08

正月遊びの定番、福笑いの起源は江戸時代か。(2014年)

 明確な年代は不明です。江戸中~後期頃には福笑いの原型といえるものが存在したと考えられますが、正月の遊びとして定着したのは明治以降のようです。 (回答プロセス) 【資料1】【資料2】によると、江戸後期から行われていたことが推測できるが、発祥は定かではない。正月遊びとして盛んに行われるようになったのは...

2015/06/08

八百屋お七の墓は現在東京に残っているか。(2014年)

 八百屋お七の墓は都内では円乗寺(住所:東京都文京区白山1-34-6)にあります。東京以外では、千葉県八千代市の長妙寺、岡山県御津町にもお七の墓と呼ばれている墓があります。 (参考資料) 【資料1】『都史紀要 39 レファレンスの杜-江戸東京歴史問答』東京都公文書館編 東京都公文書館 2003年 C36/2136/5-39 ...

2015/06/08

7月7日七夕はそうめんの日と聞いたが、その由来は? この日、江戸でそうめんを食べる慣習はあったか?(2014年)

 全国乾麺協同組合連合会のホームページによると、同連合会では昭和57年(1982)から7月7日七夕を「そうめんの日」と決めているとある。 そうめんは漢字で「素麺」あるいは「索麺」(索餅が原型)と書くが、『年中行事大辞典』には“『年中行事抄』は中国の故事を引きつつ、七夕に索餅を食せば瘧病にかからないと述べる”...

2015/06/08

かつて東京都港区虎の門付近に「どんどん」と呼ばれていた滝があったようだが本当か。(2013年)

広重の連作である「名所江戸百景」の中の1点「虎の門あふひ坂」に描かれている滝のことではないかと思われます。 (回答プロセス) この作品は【資料1,2】などに掲載されているものを当図書室にてご覧いただけます。 葵坂(あふひ坂)とは【資料3】によると、明治期まで、現在の港区虎ノ門2丁目(もとの赤坂葵町)にあっ...

2015/06/08

大名行列において、大名がトイレに行きたくなったときどうしていたのか? "おまる"を乗せた駕籠(通称:おまる駕籠・厠駕籠)があり、大名は移動中に自分の駕籠からおまる駕籠に飛び移り済ませていたというのは本当か?(加賀前田藩での事例としてインターネット上で記載されている) また、組み立て式(携帯用)トイレの図版はあるか?(2013年)

 資料により諸説あるようだが、“おまる駕籠・厠駕籠”といったものや、移動中に駕籠から駕籠へ飛び移ったという内容は当館所蔵の資料では確認できなかった。同様に図版も確認できず。   (回答プロセス) 【資料1】『江戸参府旅行日記 東洋文庫303』ケンペル著 斎藤信訳 平凡社 1977年 2910/170/77 (P18) 2・3...