レファレンス事例集

江戸東京博物館図書室のレファレンス事例集

 

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2015/08/19

『東海道五十三次』を描いた江戸時代の浮世絵師、「歌川広重」と「安藤広重」はどちらが正しい呼び名なのか。(2015年)

 かつては本姓の「安藤」と画号の「広重」を併用した「安藤広重」と表記されることがありましたが、現在は「歌川広重」と表記されることが多いようです。   (回答プロセス) 【資料1】によると「少々前までは安藤広重と言う呼び名が一般的であったこの絵師、ただし存命中の本人は一度もその本姓と号とを併用したことは...

2015/08/19

江戸時代の飲食店には「御品書き」と書かれたメニュー表があったのか。(2015年)

「御品書き」と書かれた資料は見つけられませんでした。「覚」と書いてある資料もありますが、頭書きのない物もあり、さまざまなようです。   (回答プロセス) 【資料1】によると、「行灯に書かれた品書き」として「覚」と記されてる資料あり。特に頭書きはなく、品名を連ねた札もあり。 【資料2】をみると、看板、の...

2015/06/08

鹿鳴館の図面は残っているのか。(2014年)

設計者のジョサイア・コンドルが書いた図面は現在行方不明となっています。現在私たちが見られるのは推定図と、竣工後書かれた略図となっています。 (回答プロセス) 【資料1】によると、p.13「コンドルの書いた鹿鳴館の図面は、現在行方不明」、「1940年(昭和15)の解体直前に行われた堀越三郎と横河工務所の調査によ...

2015/06/08

江戸時代の「江戸三大名鐘」とはどれを指すのか。(2014年)

江戸時代に「江戸三大名鐘」と呼ばれていたかは不明です。江戸の代表的な鐘として寛永寺、増上寺、浅草寺、天龍寺、市ヶ谷八幡宮等の鐘が紹介されていますが、「三大鐘」として紹介する文献も鐘の組み合わせがそれぞれ異なります。 (回答プロセス) 【資料1】によると、芝増上寺(港区芝公園内)・上野寛永寺(台東区上...

2015/06/08

太田道灌の「山吹の里」伝説の地は都内のどこなのか。(2014年)

 現在「山吹の里」伝説に関する史跡は都内に複数あります。荒川区荒川7-17-2(泊船軒内に史跡)、 豊島区高田1-10-5(山吹の里公園に由来板)、豊島区高田1-18-1(面影橋附近に史跡)、新宿区新宿6-21-11(大聖院内に山吹の里伝説の娘の墓)、新宿区西新宿2-11(新宿中央公園に太田道灌久遠像)。しかし、実際の場所と...

2015/06/08

正月遊びの定番、福笑いの起源は江戸時代か。(2014年)

 明確な年代は不明です。江戸中~後期頃には福笑いの原型といえるものが存在したと考えられますが、正月の遊びとして定着したのは明治以降のようです。 (回答プロセス) 【資料1】【資料2】によると、江戸後期から行われていたことが推測できるが、発祥は定かではない。正月遊びとして盛んに行われるようになったのは...

2015/06/08

八百屋お七の墓は現在東京に残っているか。(2014年)

 八百屋お七の墓は都内では円乗寺(住所:東京都文京区白山1-34-6)にあります。東京以外では、千葉県八千代市の長妙寺、岡山県御津町にもお七の墓と呼ばれている墓があります。 (参考資料) 【資料1】『都史紀要 39 レファレンスの杜-江戸東京歴史問答』東京都公文書館編 東京都公文書館 2003年 C36/2136/5-39 ...

2015/06/08

7月7日七夕はそうめんの日と聞いたが、その由来は? この日、江戸でそうめんを食べる慣習はあったか?(2014年)

 全国乾麺協同組合連合会のホームページによると、同連合会では昭和57年(1982)から7月7日七夕を「そうめんの日」と決めているとある。 そうめんは漢字で「素麺」あるいは「索麺」(索餅が原型)と書くが、『年中行事大辞典』には“『年中行事抄』は中国の故事を引きつつ、七夕に索餅を食せば瘧病にかからないと述べる”...

2015/06/08

かつて東京都港区虎の門付近に「どんどん」と呼ばれていた滝があったようだが本当か。(2013年)

広重の連作である「名所江戸百景」の中の1点「虎の門あふひ坂」に描かれている滝のことではないかと思われます。 (回答プロセス) この作品は【資料1,2】などに掲載されているものを当図書室にてご覧いただけます。 葵坂(あふひ坂)とは【資料3】によると、明治期まで、現在の港区虎ノ門2丁目(もとの赤坂葵町)にあっ...

2015/06/08

大名行列において、大名がトイレに行きたくなったときどうしていたのか? "おまる"を乗せた駕籠(通称:おまる駕籠・厠駕籠)があり、大名は移動中に自分の駕籠からおまる駕籠に飛び移り済ませていたというのは本当か?(加賀前田藩での事例としてインターネット上で記載されている) また、組み立て式(携帯用)トイレの図版はあるか?(2013年)

 資料により諸説あるようだが、“おまる駕籠・厠駕籠”といったものや、移動中に駕籠から駕籠へ飛び移ったという内容は当館所蔵の資料では確認できなかった。同様に図版も確認できず。   (回答プロセス) 【資料1】『江戸参府旅行日記 東洋文庫303』ケンペル著 斎藤信訳 平凡社 1977年 2910/170/77 (P18) 2・3...

2015/06/08

ヤミ市の物価が出ている本はあるか。(2013年)

【資料1】にはヤミ値と基準価格の比較一覧表があります。 webサイトでも見られます。 https://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kankobutu/kataribe/documents/kataribe74.pdf  (2015/7/20確認)   (回答プロセス) 【資料2】は当時商売をしていた人たちからの聞き取りをまとめた報告書。例えばp.95...

2015/06/08

展示室に復元されている日本橋(備考※1参照)の中央にある少し高くなった板の名称と役割は?(2013年)

【資料1】によると「中布板と言います。ここで半分ずつ接いで、左右に水勾配を付けている」と書かれています。 また【資料2】には、「橋の中央には、センターラインのように中布板が取り付けられ、敷板は水はけを考えて左右に水勾配がつけられている」と、波多野純氏による解説があります。 (参考資料) 【資料1】『東...

2015/06/08

江戸三座(市村座・中村座・森田座)の座紋を知りたい。(2013年)

【資料1】によると、市村座:隅切角に鶴の丸→丸に橘(元禄3(1690)年)、中村座:舞鶴→隅切角に銀杏、森(守)田座:丸にかたばみ。   (回答プロセス) 市村座と中村座の座紋が変更された理由としては、【資料2】によると、徳川家に鶴姫が誕生したので、鶴をつかった座紋は変更したとしている。【資料3】によると、元...

2015/06/08

江戸城の櫓(やぐら)は現在も残っているか。(2013年)

下参考資料によると本丸の富士見櫓、西の丸の伏見櫓、三の丸の巽櫓(辰巳櫓・桜田櫓)が残っている。   (参考資料) 【資料1】『天守再現!これが江戸城だ! 別冊宝島Study 1758』三浦正幸監修 宝島社 2011年 5218/217/0011-S00 (p.72-3) 【資料2】『皇居 自然・歴史・建築・行事…都心の杜を細見』JTBパブリッシング ...

2015/06/08

江戸時代の枝豆は枝付きか。(2013年)

【資料1】『守貞謾稿』によると「江戸は豆の枝を去ず売る故に枝豆という。京坂は枝を除き皮を去ず売る故にさやまめという」と書かれています。(備考※1参照)   (回答プロセス) 【資料2】に枝豆売りの説明と絵がある。 【資料3】によると「十分に熟していない大豆を枝につけたままもぎ取ったもの。鞘豆」と書かれて...