明治5年頃の日本人男性の髪型は、ザンギリ頭とちょん髷(まげ)のどちらが多かったか。(2006年)

2015/06/08

 明治4年(1871)8月、政府は「散髪脱刀令」を布告して断髪を許し、これを奨励しました。有名な「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という詞は、同年5月『新聞雑誌』第2号に掲載されて流行したものです。すすんで断髪し、いわゆる“ザンギリ頭”にする者が増える一方、髷に執着する者も多くありました。明治6年3月に明治天皇が断髪をしたことで庶民の断髪に拍車がかかりますが、ちょん髷姿が見られなくなるには、もう少し時間がかかったようです。 明治初期に描かれた画報や錦絵を見ても、新旧様々の髪型が入り交じっていたことがわかります。『明治事物起源』(石井研堂著)では、「頭髪の百人百色なりしは、明治5、6年ころ最も甚だしく...」とあり、東京市内における断髪者の率は「明治8年頃は2分5厘(25%)、10年頃は6分(60%)、14年頃は8分(80%)、16年頃は9分(90%)、21、22年頃は全く斬髪のみ(100%)」としています。また東京の現況として、明治6年『新聞雑誌』第81号・第174号の「7分半髪、3分斬髪なり、商人職人の散髪日に多し」「斬髪の大流行といいながら、尚7、8割を出でざりしこと明なり」という記載も紹介しています。 断髪の奨励は中央政府だけでなく、各府県でも行なわれており、「半髪の者には税金を課す」、「巡査に鋏を持たせて半髪をみつけ次第、管内の者であればちょん切ってしまう」など、強制的な例もあったといいます。そのため断髪者の率は、各地方によって大分偏りがあったようです。(半髪とは月代(さかやき)を剃り、髷を結った髪型のこと)

 

(参考資料)

『明治事物起源(上)増補改訂』(石井研堂著 春陽堂 1944年 0314/9/1)

『日本結髪全史 改訂』(江馬務著 創元社 1960年 3835/15/60)

『鋏 ものと人間の文化史33』(岡本誠之著 法政大学出版局 1979年 5810/3/79)

『錦絵幕末明治の歴史(5-12)』(小西四郎著 講談社 1977-78年 2106/L14/5-12)

『画報近代百年史(1-2)』(日本近代史研究会編 日本図書センター 1989年 2106/L4/1)

『図説明治事物起源事典』(湯本豪一著 柏書房 1996年 0314/10/96)

 

(備考)

全理連HP(理容の歴史): http://www.riyo.or.jp/window open  (2014/4/1確認)

「東京開化名勝京橋石造銀座通り両側煉化石商家盛栄之図」歌川広重(3代)画 明治7年(収蔵品検索) http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0188208048&w=%8A%4A%89%BBwindow open

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000027244window open