レファレンス事例集

江戸東京博物館図書室のレファレンス事例集

 

国立国会図書館運営レファレンス協同データベースwindow openで江戸東京博物館図書室が提供した事例が検索できます。


(※「レファレンス」とは利用者が学習・研究・調査等で図書室に情報を求めた場合に、図書室の機能を活用して、参考となる資料をご案内するサービスです。)


●フリーワードから探す
事例をフリーワードから検索できます。


●江戸東京博物館図書室の事例をすべて見る



 

2015/06/08

吉良上野介邸は、三方を長屋で囲まれていたと聞いたが、開いていた一方は、誰かの屋敷に接していたのか?(2002年)

 『堂々日本史10』(KTC中央出版,2100/619/10) 『元禄繚乱展』(NHK,M3624/TO-3/117)図録140pの「吉良邸絵図面写」によると、東西南が長屋で囲まれており、空いていたのは北側ということになります。『図説忠臣蔵』(西山松之助監修,河出書房新社,2105/979 /98)34p「改撰江戸大絵図」(元禄15年版)を見ると吉良邸...

2015/06/08

江戸時代の一両の価値は現在のいくら位か。(2002年)

「バブルの末期から”一両は今の十万円”という比較が親しみを込めて説明されています」が、「一両は何万と想定することは無理」(【資料1】『お旗本の家庭事情と暮らしの知恵』)と言えます。なぜなら、現代と当時とでは社会状況が全く異なるためです。つまり、江戸時代の貨幣価値を現代に置き換えるのは不可能とお答えす...

2015/06/08

「中秋の名月」はいつ頃の事か。(2002年)

 中秋とは、陰暦(旧暦)8月15日(十五夜)のことです。 今日私たちが一般に使用しているのは、言うまでもなく太陽暦(新暦)です。これは明治6年の改暦から今日に至っています。3月3日「桃の節供」や5月5日「端午の節供」などのように、「お月見」は太陽暦8月15日に行うというわけにはいきません。それは、陰暦がまさ...

2015/06/08

七夕の由来について。(2002年)

 七夕は五節供のひとつで、五節供は江戸幕府が制定したといいます(『節供の古典-花と生活文化の歴史-』雄山閣出版 1993年 3861/83/93)。  『日本まつりと年中行事事典』(桜楓社 1983年 3861/3/83)をみると、「旧暦7月7日に行われる行事をいう。近年都会では新暦7月7日に行い、また月遅れの8 月7日という地方...

2015/06/08

こどもの日の由来、こいのぼりについて知りたい。(2002年)

 五月五日は「こどもの日」という言い方が今日では一般的なようです。しかし、『三省堂年中行事事典』(三省堂・3861/115/99)に「昭和二十三(一九四八)年以来この日がこどもの日として国民の祝日の一つに定められ」とあるように、古くからこう言われていたわけではありません。  五節句のひとつとしての「端午(たん...

2015/06/08

鏡餅・鏡開きの由来について。(2002年)

 1月11日、正月の行事として鏡開きがあります。これについて調べてみると、まず鏡開き・鏡餅というの名の由来ですが、『日本民俗事典』(3803/17/83)には鏡と同じ円盤状の形状からきているとあり、『日本を知る事典』(3821/8/89)には女は鏡台に餅を供えたことからきているとあります。 なぜ11日に行うのかということ...

2015/06/08

『忠臣蔵』の舞台となった吉良邸の現在の場所が知りたい。また討ち入り当時の吉良邸の絵図面は残っているのか。(2001年)

 元禄15年(1702)12月15日に起きた赤穂浪士討ち入り事件の舞台となった吉良邸跡は、その一部が、墨田区立松坂町公園となっています。(備考※1) また、吉良邸絵図面は、『赤穂義士史料』中巻(中央義士会編 雄山閣 1999年)、『元禄繚乱展』(元禄繚乱展図録編集委員会編集 NHK,NHKプロモーション 1999年)図録でご...

2015/06/08

蕎麦の歴史について。(2001年)

 今日われわれが一般に食べる麺状の蕎麦は、江戸時代の文献には「蕎麦切り」とみえます。蕎麦は、古くは「蕎麦がき」などのように餅状で食され、(諸説ありますが)麺状のものは江戸時代初期にできたとされます。「二八蕎麦」という言い方は、1杯16文の時代が長かったので2×8=16(文)という値段からきたとする説、つ...

2015/06/08

江戸時代の職人はどんな格好をしていたか。(2001年)

 江戸時代に書かれた本の中の挿画などからもみることはできますが、これらをひとまとめにした本として、『ヴィジュアル史料日本職人史2・3巻 職人の世紀 近世編』(遠藤元男著・雄山閣出版)があります。 また、東京国立博物館蔵の鍬形蕙斎画による絵巻「職人尽絵詞」を本にしたものとして、『江戸職人づくし』(朝倉...

2015/06/08

徳川御三家の祖はどこで生まれたか。(2001年)

 家康の9男義直(尾張藩祖)は大阪城西丸生まれ、10男頼宣(紀伊藩祖)は伏見城生まれ、11男頼房(水戸藩祖)は伏見城生まれとあります。   (参考資料) 『日本人名大事典』(平凡社) 『国史大辞典』(吉川弘文館) 『徳川御三家展』香川県歴史博物館編 香川県歴史博物館 2000年 M82/KA-6/12-S00 『歴史読本 第54...

2015/06/08

江戸の大名屋敷、上屋敷・中屋敷・下屋敷の役割の違いについて。(2001年)

 上屋敷は主に藩主とその妻子など用、中屋敷は主に隠居や世継ぎなど用、下屋敷は国元からの荷を揚げるため主に水辺につくられた蔵屋敷とあります。   (参考資料) 『江戸東京学事典』(三省堂 1987年 2136/396/94) 『ピクトリアル江戸 大名と旗本』(学習研究社 1991年 2105 /20/2) 『レファレンスの杜』(東京...

2015/06/08

江戸時代の串団子の形態と値段について。(2001年)

 宝暦・明和(1751-1771)のころには、江戸では、一串5文で、団子の数は5つであったといいますが、明和5年に4文銭が鋳造されると、その影響で一串4文、数は4つになったといいます。   (参考資料) 『江戸物価事典』(展望社 1979年) 『東京都公文書館だより 第8号』(東京都公文書館編 東京都公文書館 2006年) 『...

2015/06/08

北町奉行所、南町奉行所はどこにあったのか、史跡はないか。(2001年)

 『図説江戸町奉行所事典』(笹間良彦著 柏書房 1993年)、『考証「江戸町奉行」の世界』(稲垣史生著 新人物往来社 1997年)によると、いくたびもの変遷があることが分かります。 最終的に数寄屋橋に置かれたのが南町奉行所、呉服橋内に置かれたのが北町奉行所と呼ばれ、慶応4年(1868)に共に廃止されるまで存続...

2015/06/08

隅田川の桜はいつ、だれが植えたのか。(2001年)

 享保2(1717)年に八代将軍徳川吉宗によって植樹されたとする文献が多いが、それ以前の寛永年間説など諸説ある。   (回答プロセス) 【資料1】『都史紀要39 レファレンスの杜』によると、寛永年間(1624~44)に植樹されたのが始めとしており、徳川吉宗時代の享保2(1717)年と享保11(1726)年に 補植されたとする。【資料...

2015/06/08

東京市歌・東京都歌の作詞・作曲者。譜面が載っている本はないか。(2001年)

【資料1】『東京のうたその心をもとめて』によると、「東京市歌」(大正15年制定)の作詞者は高田耕甫、作曲者は山田耕筰です。「東京都歌」(昭和22年制定)の作詞者は原田重久・補作深尾 須磨子、作曲者は加須屋博です。譜面も掲載されています。【資料2】『都史紀要39 レファレンスの杜』に成立について詳しく述べ...