江戸時代、寺子屋の授業料はいくら?(2006年)

2015/06/08

 金額に明確な定めはありません。一般的に寺子屋に通う場合は師匠に、入門料である「束脩(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めました。江戸と地方では謝礼の傾向が異なりましたが、江戸では銭を納める事が多かったようです。そのほか盆暮などに付け届けが行われていたようですが、もちろんすべての寺子屋に当てはまるわけではありません。

 

(回答プロセス)

まず、入門料の具体的な例を挙げます。

【資料1】によると、入門者は「赤飯・煮しめ・酒肴・目録、或いは百疋、身分相応金銀一二両」を用意するという大仰なものでしたが、延享宝暦頃から徐々に簡略化されました。(備考※1)
【資料2】によると「入門料は金一分(一両の四分の一)から200~300文とまちまち」と、定めがあるわけではなく、庶民も手軽に寺子屋に入れる様になったと言います。
【資料3】は【資料1】を引用。

次に授業料の例を挙げます。
【資料4】によると、江戸末期頃には、毎月「一朱銀を二つ持ってゆき」、また二十五日には天神様の天神講のための銭を用意したそうで、「さしに差した金を一本持ってゆきましたが、一本でいくらあったかは知りません」との証言があります。
【資料5】によると、「どの寺子屋もまったく月謝の定めがなかった」盆暮や五節句に「百文から多くて一千文程度」持参しました。月謝に直すと「二十文~二百文」としています。
【資料6】によると、授業料は年五回払いで、江戸では金一朱(約2万円、1両=30万円換算)ずつ5回納めるのが通例であるとし、農村部では江戸の半額ほどとのことです。
【資料7】の報告によると、金銭だけでなく、食品や物品などさまざまだったことがわかります。

 

 (参考文献)

【資料1】『江府風俗志』(『続日本随筆大成 別巻8 近世風俗見聞集 8』森銑三 北川博邦監修 吉川弘文館 1982年 0815/10/101 p.7) (寛政年間の江戸市中の風俗を記す。)

【資料2】『江戸東京学事始め』(小木新造 筑摩書房 1991年 2136/1/91 p.11)

【資料3】『江戸の寺子屋と子供たち』(渡邉信一郎著 三樹書房 1995年 3721/114/95 p.121)

【資料4】『史話江戸は過ぎる』(河野桐谷編 新人物往来社 1969年 2106/179/69 p.212)

【資料5】『時代考証事典』(稲垣史生著 新人物往来社 2001年 2105/11/001 p.251「学費はどれほどかかったか」)

【資料6】『江戸の備忘録』(磯田道史著 朝日新聞出版 2008年 2100/807/0008 p.124-125)

【資料7】『日本庶民教育史』中巻(復刻版)(乙竹岩造著 臨川書店 1980年 3721/2/2 p.785-790) 【資料8】『江戸に就ての話』(岡本綺堂著 岸井良衛編 青蛙房 1980年 2105/523/80 p.128-131「手習いの師匠」)

【資料9】『図説江戸の学び』(市川寛明 石山秀和著 河出書房新社 2006年 M3624/TO-3/186)

 

(備考)

※1『江府風俗志』(『近世風俗見聞集』国立国会図書館デジタルコレクション) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949627/7window open  (2016/8/3確認)

ほぼ日刊イトイ新聞(「寺子屋の学費っていくらだったの?」当館学芸員・研究員が答えています。) http://www.1101.com/edo/2006-03-17.htmlwindow open  (2014/4/2確認)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000030144window open