2015/06/08
(回答)
参考資料によると、隅田川は上流を荒川とし、荒川の下流(東京都北区岩淵地点)で隅田川として分かれて、東京のまちの中を蛇行して東京湾に流れます。よって水源は荒川と同じ、起点は岩淵水門とし、長さは約23.5kmです。詳しくは下部「回答プロセス」、「参考資料」、「備考」をご参照ください。
(回答プロセス)
「隅田川」の川としての定義は長い間曖昧でした。
【資料1】『隅田川の橋 写真で見る歴史 墨田区立図書館叢書 8』(墨田区立緑図書館 1993年 M3624/SU-2/4 p.1)
によると、承和2(835)年にはすでに「住田河」として古文書に登場しています。
【資料2】『〈図説〉江戸・東京の川と水辺の事典』(鈴木理生編著 柏書房 2003年 2136/689/003 p.154-156 「川の呼び方」)
によると「古い時代には入間川と呼ばれ、江戸時代中期までの公文書と地図で見る限りでは、浅草川と呼ばれていた」と書かれています。
【資料3】『江戸の川・東京の川』(鈴木理生著 井上書院 1990年 2913/9/90 p.57-p.59 「隅田川と浅草川」)
によると「荒川下流部は、武蔵国と下総国の国境であり、武蔵国側からいえば浅草川、下総国側からの呼称は隅田川であった」と書かれています。
【資料4】『国史大辞典 第8巻』 (国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1987年 2100/360/008 p.144)
「江戸時代に隅田川とよんだのは大体汐入・鐘淵下流、少なくとも千住大橋下流からのようで、浅草観音の付近を宮戸川とか浅草川とよび、両国付近では大川とか両国川とよんだ」と書かれています。
【資料5】『川の地図辞典 江戸・東京/23区編 フィールド・スタディ文庫』(菅原健二著 之潮 2008年 5172/37/0008 p.10)
の記述によれば「川の呼名は流れる地域によって異」なった。
【資料6】『墨東外史すみだ』(東京都墨田区企画広報室編 東京都墨田区 1967年 C3624/2136/008 p.437)
によると、表記としては隅田のほか、角田、墨多なども宛てられていました。
文献や地図に表されているにも関わらず、昭和39(1964)年の河川法(施行は翌年4月1日)で荒川の支流として認められるまで、「隅田川」は正式名称ではありませんでした。
(参考資料)
(備考)
すみだ郷土文化資料館 https://www.city.sumida.lg.jp/index.html (2025/2/17確認)
「隅田川流域とは」http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000007324.pdf(東京都建設局 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/) (2025/2/17確認)
「荒川放水路と岩淵水門」http://www.mlit.go.jp/common/001090652.pdf(国土交通省 http://www.mlit.go.jp/) (2025/2/17確認)
(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000061983![]()
