東京上野の西郷隆盛像の作者は誰か。銅像が上野にある理由が知りたい。(2013年)

2015/06/08

東京上野にある西郷隆盛の像は、明治31(1898)年建設。西郷隆盛は高村光雲作、連れている犬は後藤貞行作。建設発起人は鹿児島県出身の吉井友実、樺山資紀など。 設置場所については、議論が重ねられた結果西郷ゆかりの地である上野に落ち着きました。

 

(回答プロセス)

【資料1】銅像建設発起人の一人である樺山資紀の伝記によれば、設置場所については「宮城前の広場の楠公銅像のあたり」の説があったが、「衆議の結果上野あたり」と決まった。「上野は彰義隊との黒門口の戦で薩摩兵が奮戦したゆかりの土地である。そこで三枚橋のあたりにするか不忍の池のほとりにするか、陸軍陣地のあった雁鍋附近にするかなどと、いろいろ議論があった」末に、結局現在の場所となったと書かれている。

【資料2】によると、発起人らが当初皇居の近くに建立地を希望したのは「西郷が、維新第一等の功臣」であり、また西郷の功により「江戸城無血入場が実現したのだから」という考え方が強かったが、賊名を解かれたとはいえ「長閥薩閥に対する反感もあった」らしく取りやめ、薩軍が猛襲をかけた上野に落ち着いたとしている。このあたりの事情は『樺山愛輔伝』に詳しいと書かれているが、該当図書が当館にないため確認できず。

【資料3】によると、本来「宮城正門外」の予定から最終的に上野に設置されたと書かれている。

【資料4】によると「宮城は国賊には問題外として上野の地が選ばれたことにしても、上野でも相応しくないとみなされていた。」と書かれている。

 

(参考資料)

【資料1】『父、樺山資紀 伝記・樺山資紀 伝記叢書44』樺山愛輔著 大空社 1988年 2891/670/88 (p.144-151)

【資料2】『日本の心 銅像は生きている』杉田幸三著 永田書房 1971年 7150/2/71 (p.235-236)

【資料3】『上野寛永寺将軍家の葬儀 歴史文化ライブラリー 243』浦井正明著 吉川弘文館  2007年 1884/69/0007 (p.15-18)

【資料4】『銅像受難の近代』平瀬礼太著 吉川弘文館 2011年 7150/4/0011 (p.21-22、p.327)

【資料5】『古老がつづる下谷・浅草の明治,大正,昭和4』台東区立下町風俗資料館 1990年  C3631/2136/39-4 (p.16)

【資料6】『東京江戸案内 歴史散策巻の4 相撲と銅像篇』桜井正信編 八坂書房 2004年 2913/725/4 (p.31)

【資料7】中江彬「上野公園の≪西郷隆盛像≫とミケランジェロ」(『大阪府立大学紀要 人文・社会科』 (通号 48) 2000年 p.11~22 ( http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/12406/1/2009202162.pdfwindow open )

 

(関連リンク)

東京都建設局  http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/midokoro.htmlwindow open (2016/9/1確認)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000136193window open