1.あの味はここから〜文明開化と食
明治に入り、外国との交流が本格化すると、東京の街並みは大きく変わります。人びとの暮らしも、ゆるやかながら変化していきます。欧米の食生活が伝わり、ビール、アイスクリーム、シュークリームなどが紹介されました。西洋の食材である牛肉を日本流にアレンジした牛鍋が大ヒットします。第1章では、この時期に大きな変化を迎えた食生活に着目し、新しい味覚として人びとに受け入れられたさまざまな食べ物と、食をなかだちとした文化の形成に注目します。
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【主な展示資料】 《東京自慢名物会 風月堂》 明治29年(1897) 当館蔵 東京の名所と美人に流行の柄を配置したシリーズ版画の一つ。上部に描かれたのは銀座の風月堂。機械によるビスケットの大量生産を日本で初めて行ない、チョコレート・アイスクリーム・シュークリーム・エクレアなど次々と新メニューを日本へ紹介し、流行をリードした。店内ではサンドイッチにコーヒーと軽食を出し、喫茶店のはしりとなった。
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《アイスクリームグラス》 明治後期 当館蔵 ガラス製の高杯。氷菓子用と推定できる。風月堂がアイスクリームを売り出したのが明治11年(1878)。資生堂がアメリカのドラックストア風のソーダ水とアイスクリームを始めたのが明治35年(1902)。明治になってアイスクリームのある夏がやってきた。
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《パンの会》 木村荘八/画 昭和3年(1928) 長野県北野美術館蔵 「パンの会」は、明治40年代に始まった文学・美術家たちの集い。パリのサロンにあこがれた芸術家たちが、セーヌ川沿いのカフェーにならって隅田川沿いの西洋料理屋で交流をはかった。北原白秋・石井柏亭・高村光太郎・永井荷風等が参加。多くの文芸・美術作品が生まれた。木村荘八による回想画。
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2.おめかししておでかけ〜大正昭和の服・小物
日露戦争後、大きく成長したマスメディアは、ニュースを報じるだけではなく、流行を伝えるようになりました。そこで注目されたのは、東京の女学生のファッション。リボンに袴のハイカラ姿が脚光を浴び、ロマンチックな詩集や版画が広まりました。大正12年(1923)の関東大震災で、街並みが一変した東京に、モボ(モダンボーイ)・モガ(モダンガール)と呼ばれる男女が現れます。スーツにネクタイ、パナマ帽の男性に対し、キモノ姿の女性。よくイメージされる断髪、スカート姿はまれでした。彼女らがこだわったのはキモノの柄、アメリカやヨーロッパのデザインを取り入れるのがモダンでした。第2章では、大正から昭和に東京で流行したファッションを取り上げ、あわせて都市風俗を紹介します。
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【主な展示資料】 《真鍮薔薇花簪》 明治〜大正期 当館蔵 ハイカラな香りがただよう、バラの花のかんざし。若い女性向き。花びら部分はセルロイドで、つぼみ部分はサンゴでつくられている。明治後期から、おしゃれのお手本は東京の女学生だった。幅広なリボンや造花を飾った「マーガレイト」などの新しい髪型や、羽織と袴に革靴の装いの彼女らは、憧れのまなざしを向けられた。本資料のような髪飾りをつけた女学生姿の絵葉書や絵画が、数多く販売された。
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《銘仙標本》(写真は一例) 昭和前期 伊勢崎織物協同組合蔵 大正・昭和の日常着である銘仙の布地(40cm×40cm)を150枚貼り付けた、スクラップ・ブック2冊。当時流行していた、華やかでモダンなキモノの柄をさまざま見ることができる。現在ふたたび注目されている銘仙は、群馬県の伊勢崎を中心に生産された。本展覧会にて、綴じを外して、初公開。
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《今和次郎のフィールドノート》 昭和2年(1926) 工学院大学図書館蔵 今和次郎(1888‐1973)は、「考現学」を提唱した、民俗・建築学の研究者。考現学では、街を歩く人びとの装いや、家庭内の持ち物が調査され、変わりゆく風俗などが事細かに記録された。このフィールドノートには銀座の調査が記録されており、カフェーの女給のスケッチがある。社会や人びとの行動を捉えた今和次郎、その調査の原点のノートである。
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3.足りないという日常〜戦時下の暮らし
関東大震災をきっかけに、東京の郊外は都市化します。私鉄沿線には、こぎれいな住宅が並び、電気やガスを使った家事用品が普及しはじめます。デパートや映画館、遊園地でのレジャーも楽しまれるようになりました。こうした文化生活が広まる一歩手前で、戦争が勃発します。生活必需品が配給制となり、数々のスローガンが掲げられ、市民生活は制限されました。鉄類をはじめ、あらゆる物資が軍需優先となり、陶磁や木、紙を使った「代用品」が考案され、決戦ムードが高められました。そして終戦。廃墟の東京には、瓦礫とともに、皮肉にも軍事物資が残されました。航空機に使われるジェラルミンは軽くて丈夫で、なべ、釜から、パイプに火鉢、自転車などと様々な形に加工されて出回りました。こうした草の根の技術が、技術立国の基礎となっていきます。第3章では、戦前、戦中、戦後に生産された日用品の形にあらわれた、人びとの生活と心意を探ります。
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【主な展示資料】 《電気ストーブ》 芝浦製作所(現、株式会社東芝)/製 昭和前期 当館蔵 昭和10年(1935)から15年(1940)頃に製作された電気ストーブ。縦型4本のスケルトンにコイルを巻き、
電熱で室内を暖めるもの。当時、電化製品は値段が高く、照明とラジオ、アイロンが普及していた程度。
ストーブや扇風機、洗濯機などは、文化生活の象徴として、あこがれの的だった。 |
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《考現学による一家庭の調査記録 今和次郎の指導による卒業論文》 小林孝子/著 昭和10〜13年(1935〜38) 工学院大学図書館蔵 昭和11年(1936)年、日本女子大学に提出された卒業論文。論題「考現学よりみたる一家庭」。昭和13年(1938)まで、追加調査され加筆されている。住宅の間取図や各室の展開図、人の出入りや家計、照明、暖房器具や台所用具、箪笥の中身など、159におよぶ調査資料には、一家庭にかかわるありとあらゆる情報が克明に記録されている。当時の生活の実態を伝える資料として非常に貴重。家中の布地のサンプルを貼付した調査資料など、付属調査資料とあわせて、初公開。
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《終戦直後 カラースライドによる東京風景 東京駅丸の内口前》 G・フェーレイス/撮影 昭和21年(1946)ごろ 当館蔵 マッカーサーを訪ねた昭和天皇を撮影したことで有名なアメリカ従軍カメラマン、G・フェーレイスによる風景写真。終戦直後の東京風景がカラースライドで残されており貴重。本資料は東京駅丸の内口付近。爆風で窓が無くなった駅舎と、通勤・通学風の男女が写されている。女性のもんぺ姿が目につくが、髪にあしらわれたリボンやゴムから、おしゃれ復活のきざしを見ることができる。スライドの実物のほか、一連のカラースライドをプロジェクターで上映する予定。
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4.それでも欲しい物〜大量消費時代
高度経済成長時代を迎えた日本では、生活の合理化をキーワードに洋服が普及し、家事用品が機械化され、趣味や娯楽の時間が増えて、そしてまたモノが売れるという成長が続きました。生活に必要な製品が一通り普及すると、自分の消費活動を誇示しやすい色が好まれるようになるなど、色彩意識にも変化がみられ、かわいらしさ、高級感といった強い印象が注目されるようになりました。衣食住の生活全般でオリジナルさが追求されるようになり、それが早いサイクルで飽きられるという、流行生活の原型がここでできあがります。1970年代後半になると、価値の多様化を反映して、同時並行的にさまざまな色・形・材質が流行します。流行のなかから、個々が好みのスタイルを選択することが定着し、80年代以降には、個々が生活全般を演出するライフスタイルの世代となってきています。第4章では1950年代後半から90年代までの、モノに対する流行に着目し、ファッション、グッズなどから、東京生活を展望します。
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【主な展示資料】 《ミニのワンピース》 昭和45年(1970) 文化学園ファッションリソースセンター蔵 昭和42年(1967)のツィッギーの来日をきっかけに、東京から日本中へとミニスカートが大流行した。大胆に足を見せる新しいファッションの流行は、それまでの女性の服装にあった規制や概念を打ち破った。このワンピースは、『装苑』(昭和45年7月号)で掲載されたもの。真夏のおしゃれ着として、他のミニスカートとともに紹介されている。小池千枝デザイン。
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《花柄魔法びん・電子ジャー・ホーロー片手鍋》 昭和49年(1974) 象印マホービン株式会社蔵 昭和30年代後半から50年代前半の「花柄ブーム」のころの製品。食器類に始まった花柄模様のブームは、贈答用の調味料や洗剤の缶に広がり、昭和42年(1967)年の花柄魔法瓶の登場、45年の電子ジャーの発明に始まって大ブームとなり、ブームは洋服から家具類に及んだ。炊事用品メーカーの各社は、ホーロー鍋や米びつ、食器などと合わせた柄を発売。花柄を中心にさまざまな柄をデザインした。魔法瓶を中心に、20種類程度の「花柄」を展示予定。
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《ジャイアントパンダ剥製「ランラン」》 昭和55年(1980) 東京都多摩動物公園蔵 昭和47年(1972)、日中国交回復を契機に、中国政府から友好のしるしとして贈られたジャイアントパンダ。上野動物園で公開され見物人が殺到した。「かわいい」ものが流行していた時代の一大センセーショナルとなり、さまざまなキャラクター商品やグッズを生みだした。昭和54年(1979)年、死亡。剥製標本にされて、全国の動物園を巡回した。当時流行のパンダグッズもあわせて公開。
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