本文へ

このウェブサイトではサイトの利便性の向上を目的にクッキーを使用します。ブラウザの設定によりクッキーの機能を変更することもできます。サイトを閲覧いただく際には、クッキーの使用に同意いただく必要があります。

質問
生類憐みの令で蚊を殺したため罰せられた小姓の名前は?

  • 事例作成日:2011年8月1日
  • 最終更新日:2025年2月17日

回答

【資料1】『御当代記 将軍綱吉の時代』【資料2】『国史大系』(第42巻)によると、伊東淡路守基祐(伊東基祐)と書かれています。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。

「生類憐みの令」については「生類憐みの令とはどのような法令か。」参照 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000033408

回答プロセス 【資料1】『御当代記 将軍綱吉の時代』によると、「又淡路守がほうへ蚊ついつく(き)申候を、おもわずしらず手にてうち殺し申し候」(p115)、「似たはなしに、喜多見重政の小姓が額に蚊を打っての血を咎められて切腹とのことが、翌年七月頃の噂として『鸚鵡籠中記』に記され、この種の話題の流布を思わせる。蚊への殺生というより、血の穢を嫌う点からの事例が種であろう。」(p118)
【資料2】『国史大系』(第42巻)によると、貞享3年6月6日「小姓伊東淡路守基祐奉職無状にて。南部遠江守直政にあづけらる。」
事前調査事項 インターネットでは「伊藤基久」と書かれているページもある。
参考資料 【資料1】『御当代記 将軍綱吉の時代』戸田茂睡著 塚本学校注 平凡社 1998年 2105/975/98p.115、118【資料2】『国史大系』第42巻 徳川実紀 第5篇 [寛文8(1668)年12月~貞享4(1687)年12月] 新訂増補版 黒板勝美,国史大系編修会編 吉川弘文館 1965年 2100/244/45p.578 備考※1をみよ【資料3】『「生類憐みの令」の真実』仁科邦男/著 草思社 2019年 2105/1966/0019p.280
キーワード 生類憐みの令
徳川綱吉
刑罰
備考 ※1『国史大系』第12巻 経済雑誌社編 経済雑誌社 1902-1905年(国立国会図書館デジタルコレクション)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991119/120 (2015/8/5確認)

(関連事例)「生類憐みの令はどのような法令か。」https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000033408
URL(転記用URL:レファ協DBへ移動) https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000098975別ウィンドウで開く

このページトップへ