質問
吉良上野介邸は、三方を長屋で囲まれていたと聞いたが、開いていた一方は、誰かの屋敷に接していたのか?
- 事例作成日:2002年12月1日
- 最終更新日:2025年2月26日
回答
参考資料【資料1】『元禄繚乱展』の「吉良邸絵図面写」によると、東西南が長屋で囲まれており、空いていたのは北側ということになります。【資料3】『図説忠臣蔵』所収「改撰江戸大絵図」(元禄15年版)を見ると吉良邸の隣家には本多孫太郎、土屋主税両家があることがわかります。詳しくは参考資料をご参照ください。
| 参考資料 | 【資料1】『元禄繚乱展』元禄繚乱展図録編集委員会/編集 NHK,NHKプロモーション 1999年 M3624/TO-003/0228 -S00 140p【資料2】『堂々日本史』 第10巻 NHK取材班/編 KTC中央出版 1997年 2100/0619/0010 182-183p【資料1】と同じ図面あり。【資料3】『図説忠臣蔵』西山松之助/監修 河出書房新社 1998年 2105/0979/0098 34p |
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| キーワード | 忠臣蔵 吉良邸 吉良上野介 吉良義央 赤穂事件 |
| 備考 | (関連事例) 「吉良邸の現在の場所が知りたい。また討ち入り当時の吉良邸の絵図面は残っているのか。」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013856 吉良邸跡(すみだ観光サイト)http://visit-sumida.jp/spot/6175/ (2015/12/6確認) |
| URL(転記用URL:レファ協DBへ移動) | https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000048892 |