真田信繁は、以前は真田幸村と言っていたと思うが、どちらが正しい名前なのか。(2016年)

2016/09/23

(回答) 
 現存する史料によれば、正しい名前は「信繁」ということになります。「幸村」の名は寛文年間に成立した『難波戦記』に記されたのがはじめとされます。幸村と言う名を、どうして名付けたのかという理由は、当館蔵書では回答は見つかりませんでした。史実とは異なるとはいえ、幸村という名も歴史が古く人口に膾炙しているため、多くの人名辞典で信繁の別称として扱っています。

(回答プロセス)
【資料1】によると、寛文年間に成立した大坂の役での信繁の活躍を描いた軍記物語『難波戦記』で信繁が「幸村」と表され、江戸時代中期に成立した『真田三代記』でもそれを引き継ぎ、ついには幕府官撰史書『徳川実紀』などの歴史書の類でも「幸村」として記載されるようになる。
【資料2】によると、史料の観点からは「信繁」が正しい。「幸村」は恐らく徳川幕府を憚って付けた名前であるが、とはいえ「幸村」が完全な誤りとも言い切れないのは信州松代藩の正史にも「幸村」と記されているため。幸村と名付けられたのは江戸幕府を憚ったためと、同時代の人物を題材にすることは禁じられていたためか(『忠臣蔵』も時代と名前を変えている)。
【資料3】によると、実名はあくまでも「信繁」だが、武将は苗字と官途名や受領名で呼ばれるのが普通(信繁ならば「真田左衛門佐」)なので、正しい諱(いみな)が忘れられるのは珍しくない。幸村と名付けたのは江戸幕府を憚ったためか。
【資料4】凡例には「在世中の確かな史料に見える名は『信繁』であるが、ここでは現在通用の『幸村』とした」とある。

(参考資料)
【資料1】2016年NHK大河ドラマ特別展『真田丸』図録(NHK,NHKプロモーション 2016年4月29日 p.193)
【資料2】「予備知識なしでもわかる基本の基本 真田Q&A」河合敦/著(『歴史街道』通巻第334号(2016.2)  PHP研究所 2015年1月6日 p.30-31)
【資料3】「Q&Aで信繁を読み解く」平山優/著(『歴史街道』通巻第320号(2014.12) PHP研究所 2014年11月6日 p.40-41)
【資料4】『真田幸村と大阪の陣』大阪城天守閣/編 大阪城天守閣特別事業委員会 2006年 M63/OS-5/29-S00 p.5
【資料5】『戦国人名辞典』戦国人名辞典編集委員会/編 吉川弘文館 2006年 2810/324/006 p.473
【資料6】『戦国人名辞典』増訂版 高柳光壽,松平年一/著 吉川弘文館 1981年 2104/79/81 p.117-118

(備考) 
※1 『増補難波戦記』(国立国会図書館デジタルコレクション)  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881469window open  (2016/5/1確認)
※2 真田信繁(幸村)略年表(上田市)  http://www.city.ueda.nagano.jp/joho/shise/koho/koho/documents/sugoroku.pdf#page=2window open  (2016/5/1確認)
※3 真田信繁(幸村)画像(上田市立博物館)  http://museum.umic.jp/hakubutsukan/syuzouhin/small/small_0004.htmlwindow open  (2016/5/1確認)