江戸時代、各大名家の菩提寺は、それぞれ江戸と国元のどちらにあったのか?(2006年)

2015/06/08

 江戸時代の大名は、いくつかの例外を除き、参勤交代のために江戸と国元を往来しました。『藩史大事典』からも、江戸と国元の両方に菩提寺を構える例が多くみられます。 葬地について『探訪・江戸大名旗本の墓』では、「(大名の)多くは生国や国元の菩提寺に葬られた。しかし、江戸で死去した場合、江戸に寺を求めて菩提寺としたものも少なくなかった。とくに正室と子女たちは江戸を離れず江戸で死去する場合がほとんどなので、多くは江戸で葬られた。」とあります。また『江戸武家地の研究』収録の19世紀初頭の史料を元にした論考では、江戸初期には一部「高野山や京都の寺」を葬地とする例があるほか、17世紀半ば以降は、「葬地を国元に限る家は少な」く、「当主が没した地に葬るのが一般的であった」としています。

 

(参考資料)

・『探訪・江戸大名旗本の墓』河原芳嗣著 毎日新聞社 1993年(2810/169/93)

・『江戸武家地の研究』岩淵令治著 塙書房 2004年(2105/1168/004)

・『藩史大事典 第1~8巻』雄山閣出版 1988~90年(2105/19/1~8)

・『江戸大名墓総覧』秋本茂陽著 金融界 1998年(2810/L267/98)

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000028802window open