いわゆる「寛政三美人」は “両国米沢町高島屋のおひさ”、“浅草随身門脇難波屋のおきた”の他もう一人は誰か。(2017年)

2017/11/15

(回答)

まず【資料1】『江戸東京学事典』を確認したところ、評判娘の項に「寛政の三美人とは、浅草随身門脇難波屋おきた、両国米沢町高島屋おひさ、芝神明前菊本のおはんの三人」とある。そこに参考文献として挙げられている【資料2】『繪本水茶屋風俗考』を確認すると『武江年表』(正編巻之七 斎藤月岑/著)を基に書かれたことがわかった。【資料3】『増訂武江年表 2 東洋文庫 118』で「浅草随神門前の茶店難波屋のおきた、薬研堀同高島のおひさ、芝神明前菊本のおはん、この三人美女の聞き有りて、陰晴をいとはず此の店に憩ふ人引きもきらず」という記述を確認した。
【資料4】『江戸学事典』も同様に寛政三美人として、おきた・おひさ・おはんの三人を挙げている。
一方、【資料5】『原色浮世絵大百科事典 第1巻 歴史』には、「寛政の三美人といえば歌麿のお北・お久・豊雛であった」とある。
【資料6】『数のつく日本語辞典』も「江戸三美人」の項で寛政三美人は同様の三人としている。
これらは喜田川歌麿の錦絵『当時三美人』(寛政5年頃)(備考※1)を基にしている。この錦絵は画中に「当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」の書き入れがある(書き入れがない版もある)。
また、【資料5】の別巻【資料7】『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品2 清長―歌麿』には、『当時三美人』の解説に「寛政の三美人といえば、この三人(おきた・おひさ・豊雛)をさすが、豊雛のかわりに菊本おはんを加えることもある」と書かれている。
【資料8】『別冊太陽 No.245 歌麿』も寛政の三美人と題し「三美人として多くの浮世絵師が筆を執ったのが、浅草寺境内・随身門わきの水茶屋『難波屋』の『おきた』、両国薬研堀米沢町の煎餅屋・高島長兵衛の娘『おひさ』、浄瑠璃・富本節の名取であった芸者『豊雛』の三人で、豊雛の代わりに芝神明前の水茶屋『菊本』の『お半』を加えることもある」と書かれている。
以上のように、『武江年表』を基に“菊本のおはん”とするものと、錦絵『当時三美人』を基に“富本 豊雛”するものとで現在出版されている資料の記述も異なり、混在している。

 

(参考資料)

【資料1】『江戸東京学事典』小木新造/他編 三省堂/発行 1991年 p.433(2913/11/91)
【資料2】『繪本水茶屋風俗考』佐藤要人/著 有光書房/発行 1977年 p.219(3849/23/77)
【資料3】『増訂武江年表 2 東洋文庫 118』斎藤月岑/著 金子光晴/校訂 平凡社/発行 1983年 p.19(2136/323/2)
【資料4】『江戸学事典』西山松之助/他編 弘文堂/発行 1984年 p.404(2136/356/84-S0)
【資料5】『原色浮世絵大百科事典 第1巻 歴史』日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1981年 p.77(7218/L160/1)
【資料6】『数のつく日本語辞典』森睦彦/著 東京堂出版/発行 1999年 p.99(0315/6/99)
【資料7】『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品2 清長―歌麿』山口桂三郎,浅野秀剛/執筆 日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1980年 p.96(7218/L160/7)
【資料8】『別冊太陽 No.245 歌麿』浅野秀剛/監修 平凡社/発行 p.32

(備考)

※1 "Three Beauties of the Present Day"  http://www.mfa.org/collections/object/three-beauties-of-the-present-day-t%C3%B4ji-san-bijin-tomimoto-toyohina-naniwaya-kita-takashima-hisa-234047window open  (ボストン美術館  http://www.mfa.org/window open )(最終アクセス日:2017/11/1)

 

(レファレンス協同データベース版) http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000224141window open