2004.04.03(Sat)〜2004.05.23(Sun)

2004.04.03(Sat)〜2004.05.23(Sun)
文久3年(1863)春、尊王攘夷運動の嵐が吹き荒れる京都の町に、日本の将来を憂う志士たちが集結しました。近藤勇、土方歳三、沖田総司などからなる彼らこそ、幕末史にその名を残す新選組の全身、壬生浪士組(みぶろうしぐみ)です。政治の中心となった京都において活動をはじめた壬生浪士組は、やがて新選組と名前を改め、池田屋事件、禁門の変など、歴史に残る事件でその名を全国に轟かせました。しかし、結成から明治2年(1869)の土方の死まで、わずか 6年。その間に政局は混迷し、新選組も滅び行く幕府と運命をともにする悲劇的な結末をたどります。 本展覧会では、京都、東京、多摩地区など新選組のゆかりの地や個人の元に残された貴重な遺品の数々と歴史資料を展示します。
開催期間 | 平成16年4月3日(土)~5月23日(日) | |||||||||||||||
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会場 | 江戸東京博物館 1階 企画展示室 | |||||||||||||||
休館日 | 毎週月曜日(※ただし、4月5日、4月26日、5月3日および5月6日は開館) | |||||||||||||||
主催 | (財)東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館、NHK、NHKプロモーション | |||||||||||||||
協賛 | ハウス食品 | |||||||||||||||
料金 |
*( )内は20名以上の団体料金。 |
ペリー来航によって直面した民族的危機に対して、日本の将来を憂う若者たちが全国各地に生まれた。かれらはやがて尊皇攘夷運動という形で過激な政治運動に身を投じはじめる。
後に新選組を結成する近藤勇、土方歳三らは、江戸近郊の多摩農村において、天然理心流の剣術の稽古に励みながら、身命をなげうって国難に立ち向かう機会をうかがっていた。
![]() 大字「尊攘」 (弘道館蔵) |
![]() 近藤勇肖像写真パネル (佐藤彦五郎子孫蔵 写真提供: 日野市ふるさと博物館) |
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近藤らは、幕府が組織した浪士組に応募することによって、歴史の表舞台に登場する機会を得た。
浪士組として上京した若者たちは、思想的な葛藤を経て分裂、殺戮を経ながら、次第にひとつの戦闘者集団をかたち造っていった。
かれらは朝廷の攘夷路線の転換をもたらす八・一八政変において、幕府側にたって活躍し、その功により新選組の名前を得る。
こうして誕生した新選組は、池田屋に集う尊攘派浪士を少人数で討ち果たす池田屋事件によって、その名を全国に轟かした。
その一方で、禁門の変・長州戦争と攘夷勢力の中心であった長州藩との戦いにおいて、幕府方にたって戦い、尊皇を本旨とするはずであった新選組は、次第に佐幕への立場を鮮明にし、破滅への道をひた走っていった。
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![]() 近藤勇肖像画 油絵 (小島資料館蔵) |
![]() 新選組袖章 (霊山歴史館蔵) |
奥羽から五稜郭までの戦い
天皇を奉じた薩長連合は、鳥羽伏見の戦いによって討幕戦争の戦端を開く。
新選組は、幕府軍の一員として戦うが、徳川慶喜が戦わずして江戸へ帰還するに及び、新選組も江戸に戻る。
近藤勇は、進軍する新政府軍を甲府付近で迎え討つため甲陽鎮撫隊を率いて出陣する。
しかし、ここでの戦いに敗れると、試衛館以来の同志を中核とする新選組は分裂し、やがて近藤は捕らえられて斬刑に処せられる。
徹底抗戦を試みる土方も函館において戦死し、新選組のわずか6年の短い歴史はここに終焉をみる。
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![]() 近藤勇のさらし首を伝える瓦版 (小島資料館蔵) |
ここでは、数少ない生き残り隊士や関係者のその後を跡づけるとともに、赤心報国の大義に衝き動かされて、果断に行動した若者たちの生き様と歴史の流れの非情さなどに思いを馳せる。
新選組隊士の“愛と青春の日々”を描いた『風光る』は、今、若い女性たちの間に新たな新選組ブームをまきおこしています。その『風光る』の著者、渡辺多恵子さんが企画展「新選組展」を見学に訪れました。渡辺さんが企画展の担当学芸員と会場をめぐる間、実に熱い丁々発止の意見交換が繰り広げられました。
近藤勇、土方歳三、沖田総司らの書簡、伊東甲子太郎の肖像画、旧前川邸(現・田野邸)の窓枠など、1点1点の資料に新鮮な視点で斬り込む渡辺さん。
なかでも、渡辺さんが特に注目したのは、今回の新発見資料である、医学者・松本良順が書いた二行書。
松本良順は、幕末の日本でもっとも西洋世界の技術力や先進性を理解していた、いわゆる「開明派」の典型です。
そんな松本良順が、「赤心報国」などといった、ややもすれば復古的な精神論を掲げた近藤勇のよき理解者であったことはよく知られています。
今回発見されたこの書において良順は、忠義を尽くして死んでいった近藤、土方ら旧幕臣に対する世間の不当な評価を嘆き、「世事は獺(かわうそ)のごとく龍を嘲り 人情は狐のごとく虎を仮る」と書きました。
明治維新の勝者が樹立した明治政府が作り出すサクセスストーリーとその対極に位置づけられた旧幕臣たち。
明治という時代の世相を鋭く批判する松本良順の書がもつ魅力を語る学芸員に対し、松本良順の業績と人柄を高く評価する渡辺さんは「松本良順のすばらしさをぜひもっと伝えてほしい。それが近藤勇の正しい評価にもつながると思う」と語りました。
夕方5時半から始まった展覧会見学が終了したのは、なんと9時半。それでも、まだまだ語り足りない、見足りない・・という雰囲気で「またゆっくりと見に来ます!」の言葉を残し、会場をあとにされました。